私たち凡人は圧倒的に時間を投下することでしか天才に勝てない

こんにちは、カッヅです。

突然ですが、私は天才という言葉があまり好きではありません。

天才というと、生まれながらに優れた能力がある人のことを指しますが、世の中の天才と呼ばれる人たちは自分の生まれつきの能力だけで様々な成功を勝ち取っているのでしょうか。

そんなことないですよね?裏では死ぬほど努力している人がほとんどだと思います。

天才と言われることに違和感

私は天才だったのか

社会人になって天才といわれることもほぼなくなりましたが、私は学生時代にいろいろな人から天才と言われるときもありました。

というのも、小さいころから学習塾にぶち込まれて勉強はそれなりにしていたので、テストの成績が良かったからです。

さらに、私がド田舎出身というのもあり、みんな高卒で働くのが当たり前という世界にいたので、大学に進学しただけで天才と言われていました。

天才というのは、言う側の人からすれば誉め言葉として言っているのかもしれませんが、私は天才と言われることにすごい違和感を感じていました。

なぜなら、私は生まれつきの才能でテストの成績が良かったのではなく、たくさん勉強したおかげでテストの成績が良かったからです。

天才と言われると、自分の努力を否定されたような気がしてちょっと嫌でした。

本物の天才はもっと時間をかけずに結果を出す

私が自分のことを天才でないと思う理由がもう一つあります。

それは、どう見ても私より全然勉強していないのに、私よりもテストの点数がいい友達との出会いです。

自分が本当に天才ならこんなに勉強しなくてもテストでいい点数が取れるんだろうな~と思いながら勉強していました。

超天才だと思っていた大学教授からの言葉

その後なんやかんやで某旧帝大の大学院に私は進学することができたのですが、その時の指導教官だった教授が頭切れまくりのめちゃくちゃ優秀でした。

しょうもない雑学から研究に関する専門的な話まで、とにかく知識量が尋常ではないです。

それに、○○はもっとこうした方がいいとか研究に関するアドバイスも的確だったし、話も論理的でわかりやすくて面白いという全ての面で私の上位互換みたいな人でした。

普通の人よりも器用とか要領がいいとそういうレベルではなく、こういう人が本物の天才なのかなと最初のころは思っていました。

でも、教授と話をしたり一緒に過ごしていくうちにこの人は天才という言葉は語れないと感じました。

というのも、教授は土日祝日関係なく365日毎日研究室に来て少なくとも9時~21時は研究をしていたからです。

「えっ…?学生よりも研究してるやん…」って感じですよね。受験生かよって感じです。

よく教授は「私みたいな凡人は圧倒的に時間を投下することでしか天才に勝てない」と言っていました。

自分が天才でないと悟ったうえで、めちゃくちゃな努力をしてここまで上り詰めるのは並大抵のことではないと思いました。

大学院生時代の教授は私の人生に大きな影響を与えてくれた人の一人です。

もはや天才と戦わないという選択肢もある

勉強以外の分野であってもいたるところにいろいろな才能を発揮ししている天才はいます。

もしあなたに何か成し遂げたいことがあるのであれば、そういった天才たちと戦わなければなりません。

圧倒的な時間を投下して、天才たちと戦う覚悟はあなたにありますか?

私個人としては大学教授になりたいということもないですし、今から何かを目指して死ぬほど努力する気はありません。

競争社会で天才と戦うことなく、まったりと今後の人生を歩んでいけたらいいかなと思っています。

もし天才に勝ちたい人がいるなら、変に効率を求めようとしたりテクニックを身に着けようとするのではなく、とにかく時間を投下することが正解だと思います。

私もまた何か極めたいことを見つけたら圧倒的に時間を投下したいと思います。